1991年5月フランコさんは晴れてイタルの一員となった。
南出身のデザイナーは、珍しい存在だったけれど、
外国人も多いから気にはされなかった。
スペイン人、韓国人、そして日本人も2人いた。
イタルで働くカーデザイナーは、常時12,3人くらいしかいない。
それだけの人数で、世界中のクルマをデザインしていた。
3プロジェクト並行は当たり前。一人ですべての工程をこなす。
「イタリア人は働かないって日本人は言うけれど、
何を見てそう思うのだろうね?」
フランコさんはいつも忙しく、土日の出勤も多かった。
けれど、「充実しているよ」。
入社して初めてわかったこと。
それは、イタルに入社したからといって、ジョルジェット・
ジュジャーロと共に仕事が出来るわけではないということ。
「GGが、デザインルームに現れるだけで、空気が変わるんだ!
GGの下で仕事がしたいなぁ」と、彼は目を輝かせながら
僕に話してくれた。
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