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執筆者の写真SantilloFrancesco

(7)イタルを去る

あんなに憧れて入社したイタルデザイン。それでも・・・。

フランコさんは、イタルに二度入社して二度退職した。

イタリアでは、転職してキャリアアップするのは

ごく当たり前のこと。


イタルに入社してしばらくすると、ジョルジェット・

ジュジャーロの元で仕事をする機会に恵まれた。

その上、クルマはMaserati3200GT。

まさに「GGの元でマセラティをデザインする」という

目標の第一歩。フランコさんにとって早すぎた目標達成

だったのかもしれない。


マセラティ3200GTは、フィアット傘下から

フェラーリの傘下となった第一弾のクルマ。

新生マセラティ。メーカーも力が入っていた。

フランコさんは、「デザイナーにとってメーカーの

経験は必要だ」と漠然と考えるようになっていた。

そんな時、あるメーカーから、オファーがきた。

「トポ、僕イタルを辞めて、引っ越すよ。」

でも僕は、フランコさんがイタルを去った

一番の理由を知っている。


NEP-D

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