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執筆者の写真SantilloFrancesco

(10)トヨタへ

「これからしばらく、会いにこられなくなるよ。」

いつもと違う様子。僕ももう慣れっこで、

“次はどこに行くの?”なんてはしゃいで尋ねると

「ニッポン。2年後の冬に迎えに来るよ」。

そんなに?“ニッポンってどこ?2年後って?”


 それまでは、次の目標のために転職してきた

フランコさんだったけれど、今回は少し違った。

メルセデスドイツ本社へ異動の内示が出たから。

食事や気候に不安があった。

しかし、メーカー勤務の経験は、まだ満足いく

ものではなく「“寒くない土地の”メーカーへ」。

慌てて受けたトヨタの採用試験に受かってしまい、

日本へ行くことになってしまった。


僕は思う。このとき、フランコさんは導かれたんだ、と。

カーデザイナーとして、高級スポーツカーをデザイン

することは、華々しいこと。でも本当は、

「街で自分のデザインしたクルマがたくさん走っていたら、

どんなに嬉しいだろう。」

フランコさんは、いつもそう言っていたから。


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